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詳しく調査したものではなく気楽に書いていることはわかるものの、納得のいかない記事です。記事によると、英語のできる先生が教えても、生徒の英語力があがるわけではないので、教員には英語力よりも指導力が重要だ、と結論づけています。
しかし、そもそも「英検準1級を取得している教員には英語力がある」、という基準が低すぎて話になりません。私は、準1級の問題であれば、英作文を除く筆記部分(本来は70分ほど使って解くパート)は30分で解けますし、全問正解します。もちろん英文は全て読んでいます。(別に超人的な英語力があるわけではありません。英語を使う時に苦労することは、今でもたくさんあります。)
皆さんが習い事をする時のことを考えてみてください。水泳を習うとしたら、泳げない(けど水泳の理論は知っているかもしれない)先生に習いますか?かろうじて泳げる(けど生徒想いかもしれない)先生を選びますか?それとも、自由に泳げる先生ですか?
個人的見解では、英検準1級すらとれない教員は、泳げない水泳指導者と同じレベルです。身につけるべき技能を有しているとは言えません。準1級でかろうじて泳げるレベルでしょう。
また、当然のことながら、泳げないかつ知識もない人、かろうじて泳げるだけで生徒想いでないような人も存在するものです。泳げないからこそ知識がある、なんてことはありませんね。
野球、サッカー、バスケ。どのスポーツであっても、監督、コーチは一流の選手だった人が務めています。一部の天才を除き、トップレベルになるために自ら試行錯誤してきた経験を伝えることができるからです。ところが、なぜ英語教育に関しては、教え方さえ優れていれば英語に関しては素人で良い、という考えがまかり通るのか、不思議でなりません。
実際、私が教育学を学んだ時も、まわりの学生、教授を含め、英語力を伸ばす必要性に言及する人はほとんどいませんでした。そのような雰囲気に非常にがっかりしたことを覚えています。
もちろん、教える時には、英語力とは別に指導力という面もあるでしょう。また、英語を教える人全員が、ずば抜けた英語力をもっている必要もありません。しかし、絶対的な基礎となる英語力なしに、いったいどれだけ効果的な指導ができるというのでしょうか。
例えば、準1級を取得できないレベルの人であれば、私の経験上、基本文法、解釈、リスニング、発音、基本語彙等の中で、複数、もしくはほぼ全ての項目に弱点があります。自ら習得できていない部分がそれだけ多くありながら、どうやって生徒をそれ以上のレベルに導くことが可能なのか、理解できません。
今後、日本で求められる人材は、英語を使いこなせる人です。英検準1級とは比較できないくらい高度なレベルの英語力が必要とされています。まずは教員全体の英語力を大きく底上げする。それなしには、日本全体の英語力の向上はあり得ないでしょう。そういった考えをもっと広めていけたらと思っています。